憲法の80年の歩みと「平和国家」としての日本

 日本国憲法は1946年11月3日に公布され、1947年5月3日に施行されました。つまり今年から来年にかけて、憲法は生誕80周年を迎えることになります。アジアへの侵略戦争に対する反省の上に立って「日中不再戦」のスローガンを掲げる私たち日中友好協会は、まさにこの憲法の理念に基づいて様々な活動を展開してきたと言って差し支えないでしょう。

 その憲法に対して高市早苗首相(自民党総裁)は、本年4月の自民党大会の場で「時は来た」という言葉を発して、首相任期中の本年内における憲法改正に向けて、極めて強い意欲を表明しました。首相の憲法改正の焦点は、断るまでもなく、「戦争放棄、戦力不保持、交戦権否認」を宣言した9条にあります。半世紀前にはこの憲法に基づいて、自民党政権下においても佐藤栄作首相は、「非核三原則(持たず、作らず、持ち込ませず)」や「武器輸出三原則(共産圏、国連決議が禁止した国、紛争当事国には武器は輸出しない)」を表明し、それを受けて三木武夫首相は、「武器輸出三原則」に関する政府統一見解(実質的には原則的な武器輸出禁止)を示して「防衛費の国民総生産(GNP:当時)1%枠」をも設定して、日本はいわゆる「平和国家」を目指すことを提示したのです。この間、高市首相が「武器輸出三原則」の「運用規定5類型」の撤廃による「殺傷能力を持つ武器輸出の原則解禁」に踏み込んだ際に、新聞などでも取り上げられて話題になった、1976年5月の衆院外務委員会で宮澤喜一外相(当時/後の首相)が述べた「我が国は兵器の輸出をして金を稼ぐほど落ちぶれてはいない」という答弁は、当時の自民党内の「良心的保守本流」も含めて「平和国家」日本を掲げていた事態を象徴するものでした。

 現在、このように曲がりなりにも堅持されてきた「平和国家」としての戦後日本のあり方を廃棄し、「戦争ができる国」へと転換させようとする動向との闘いが、まさに正念場を迎えようとしているのは間違いありません。